「最新が最高」を更新し続けるV6。LIVE TOUR V6 grooveライブレポートと雑多な感想

解散コンサートが終わった翌日、11月2日。

朝起きて最初に思ったことは、「あ、ちゃんと終わったんだ」ということだった。

解散発表があった3月12日の翌日は、「あれ、夢だったのかな...」と思うくらい現実感がなかったから、7ヶ月かけて彼らは私たちファンに対してお別れの準備をしっかりさせてくれたのだと思う。

 

解散前の最後のツアー「LIVE TOUR V6 groove」。9月の福岡公演を皮切りに全国計9箇所を巡り、最終日はデビュー日であり、解散日でもある11月1日に幕張メッセで行われた。

私は自宅でPCから参加。ぎりぎりで仕事を終わらせ、17:59に再生ボタンを押した。しばらくすると会場が一面暗くなり、森田剛くんの顔写真が細長い紗幕に映し出された。と、同時に聞こえてきたのは静かな剛くんの声。

「僕らは」

続いて三宅健くんの顔写真と声が現れる。

「まだ」。

30年近くにわたり、剛健コンビと称され、タッグを組んできた2人。その2人の囁きから始まったことが、まさにV6の始まりを象徴しているようだった。

6人の顔写真と声が揃うと始まったのは、最新アルバムに収録されている『雨』。しっとりとした曲調と歌声に会場の雰囲気が一気に“今の”V6で創り上げられていった。

過去の栄光に縋った曲選びではなく、最後まで“今の”V6を感じてほしい。その強い意思を、選曲からも、踊りからも、歌い方からも感じ取れた。26年間、「最新が最高」を更新し続けてきたV6。岡田くんが最後に語ったように最後の最後までV6の姿を追い求めた結果なのだろう。

とはいえ、最新曲でここまで格好良い楽曲とダンスを魅せられると、まだまだ先を観たくなってきてしまう。「最後の最後で、最高を塗り替えるなんてずるい......」ついそう思ってしまうほどだった。

MCでも、「最後」だからといってしんみりすることはなく、いつも通りの会話が進む。岡田くんが「MUSIC  FOR THE PEOPLE」でしゃがむべきところをしゃがまないでやってみたと末っ子モード全開の話をしてみたり、入所36年になる長野くんに対して剛くんが「いい加減にしろよ!なげーな(笑)」と突っ込んだり。いつも通りのV6がそこにいた。

トニセン・カミセン曲も立て続けに披露。カミセンは解散してしまうので、最後のステージだった。赤い光線が交差する。そこで歌い踊る3人。26年間歩み続けた3人のラストステージをしっかりと目に焼き付けたいと必死に画面の中の動きを追う。こちらの見る目のせいかもしれないが、いつも以上にキレのある踊りを魅せてくれたように見えた。

過去のヒット曲はメドレーで、最後のアルバムに入っている曲はフルか、フルでなくても比較的長めに。最後の最後まで、V6の新たな形を模索し続けた姿を魅せてくれた。

本編ラスト。MCで井ノ原くんが話し始める。

「1曲1曲終わるごとに、もうこの曲6人でやらないのかという気持ちになるかと思ったけど、ただただ楽しかったです」

「伝えたいことは山ほどあるんです。多分3日かけても伝わらないくらいいっぱいあるんですけど。やっぱり俺たちらしく、歌でみんなに思いを伝えたいと思います。このコンサートのためだけにできた曲です。みんなのことを思って歌います。会場の皆さん、配信を見てくださっている皆さん1人ひとりに届けばと思っています。僕たちからの手紙だと思って聞いてください。

最後になりますが、26年間V6を愛してくれて、V6についてきてくれて、いつでも笑顔を見せてくれて、本当にありがとうございました」。

そして、最後に流れてきたのは、このツアーのためにつくられた『目を閉じれば』。しっとりとした歌い出しに「最後だ」ということをどうしても意識してしまう。最後の最後にファンへの手紙のような曲を作ってくれたV6。「ありがとうと 大丈夫を君に」。そう彼らに言われたら、明日からの日常も「大丈夫」なような気がしてきてしまう。今まで6人からたくさんのエールを受け取ってきたのに、最後までエールをおくってくれるのか。大丈夫の言葉の力強さを感じた瞬間だった。

曲が終わると、手を繋いで深く一礼。こんなときにでも岡田くんの武士らしいお辞儀にふふふっと笑ってしまった。そして、井ノ原くんが「俺たちが」と叫ぶと、5人が「V6!」と続く。ああ、この言葉を聞くことはもうないのか。そんな事実に気づき、急に現実に引き戻された感覚だった。

鳴り止まない拍手に導かれ、もう一度ステージへと現れた6人。すると、スクリーンには、ファンからのメッセージと無数の「ありがとう」の声。「こういうことするんだよ」と井ノ原くんが嬉しそうに恥ずかしそうに笑う。ライブ会場で声を通して感謝を伝えられない分、音声でもちゃんと最後に声でメンバーに感謝を伝えられたことは一ファンとしても嬉しい。

そして、井ノ原くん以外の5人も一人ひとりコメントを残していく。最初に振られたのは、長野くん。目を潤ませながら、涙が流れるのを必死に耐えながら、ファンへの感謝を口にする。その姿にこっちまで感極まってしまって、何度目かわからない涙を流す。

続いて健くん。「泣きたいときは泣けばいい」。確か解散発表のときもブログで書いてくれていた。その後も何度もこうコメントしてくれていた。ずっとファンの気持ちに寄り添ってくれた健くんらしい最後の言葉。V6に三宅健さんがいてくれて本当によかったと心から思う。

次に振られたのは、岡田くん。「このメンバーだからこそやりきれた」という彼の言葉はきっと飾りのない正真正銘の心からの言葉なのだと思う。14歳で突然デビューを告げられ、自分の気持ちが追いつかないままデビュー日を迎えた岡田くん。自分を変えてくれた、優しさを教えてくれた人たちと共にずっと走ってきた。メンバーと支えてくれたファンへの感謝をまずは伝えたい。そんなことを感じさせるコメントだった。

続いて言葉を発したのは剛くん。「みなさんに惜しまれて最後を終われるというのは、僕は間違っていないと思うし、幸せでした」とコメントを締めた。「間違っていない」。この言葉を聞いて初めて彼らが次のステージへ向かうことをちゃんと納得した気がする。おそらく最初に解散を相談したであろう本人の口からこの言葉を聞けることは、この上ない幸せなんじゃないかとすら思った。最後まで剛くんらしい言葉だった。

最後に託されたのは、リーダー坂本くん。リーダーとしての不甲斐なさを口にするも、ここにまた戻ってくるという次の目標を掲げるあたり、26年間リーダーとしての役割を果たした人の言葉だと思う。井ノ原くんの言う通り、「それを言えるのが、リーダーだよ」と。最初はカミセン3人の世話をしながらメンバーを引っ張っていく役割として、途中からは一歩引いてみんなを見守る役回りとして。形を変えながらも常にV6全体を気にかけてきた坂本くん。そんな人から発せられる言葉に見ている人全員が心の中で「お疲れ様でした」と声をかけていたように思う。

そして、最後の最後の曲「95groove」が始まった。1995年から始まったV6。常にgrooveを大切にしてきた。そんな彼らが最後に歌う曲が、この曲なのはどうしたって涙が流れてしまう。「本日は最後の日で 君の隣踏んだステップ」。これを剛健並んで見せられた日には、ファンはもう涙で画面が見えませんよそりゃ。

そして最後にもう一度、「俺たちが」「V6!」と叫び、深く深くお辞儀。手を振りながらステージの裏へと帰っていった。

すると会場には6人の手が組み合わさった写真と、メンバーからのメッセージが流れる。拍手は鳴り止まず、終演から15分も続いたという。

ライブが終わっても、画面を閉じることもできず、少しの間茫然としていた。これで終わったんだ......。現実を少しずつ受け入れていった。

終わって最初に思ったことは、最後まで最高を追い求めた人たちだったということ、そして、そんな彼らのファンになれてよかったということだった。

少し前、「V6のどんなところが好きなんですか?」と聞かれた。そのときはうまく答えられなかったが、最終日にようやくわかった。常に「最新が最高」を更新し続けてくれるところなのだと思う。そのための努力を惜しまないし、努力をした先にどんな未来が待っているのかを教えてくれた。私にとっての人生の指針がV6なのかもしれない。

V6の最新を更新は一旦終わった。でも、26年間追い求め続けた経過も成果も色褪せることはない。6人での表現を模索した26年から、一人ひとりでの表現を追い求める段階へ。尊敬できる人たちだからこそ、これからどんな未来をつくっていってくれるのか楽しみで仕方ない。

V6として進化し続けた表現は、進行形のまま有終の美を飾ったのだ。これからの彼らの活躍に想いを馳せて、今回はここで文を締めたいと思う。

推しが解散を発表した日

推しが解散する。

「いつか終わりが訪れる」と頭でわかっていながら、まだ追いかけていたくてずっと思考に蓋をしていた。

だからなのか、「解散」の2文字を見た瞬間、「ついに来たか」と諦めにも達観にも似た感情を抱いたのだった。

解散を発表した2021年3月12日16時。わたしは客先にいた。その後車に乗り込み、受信ボックスを更新するとファンクラブ会員向けにメールが届いていた。毎日届くメールなので、「また舞台の情報かな」と思い、スルー。なんとなくTwitterを開いた。

そうしたら、誰かが「今こそこのnoteを!!!」と過去に私が書いたnoteをあげてくれていた。そのときはまだ何も理解していなかった。「なんだろう?」と思いながらもトレンドをのぞくこともなく、そのままInstagramを開く。

すると、友人が私をメンションでタグ付し、yahooニュースのスクショをあげていた。そこで認識した文字は「V6」「解散」「森田剛」「退所」「宮沢りえ」。心臓の音が急激に激しくなった。V6好きの友人と気持ちを分かち合おうとLINEを開くと、既に連絡をもらっていた。そのまま小一時間電話。物わかりのいいファンであろうとしていたのか、「いや、なんとなく予想はしていたよね」「やっぱりそうなるか」と感情の昂りを抑え、泣くことはなかった。

その後、ファンクラブ会員用のページを開くと、今日付で動画があがっていた。いつも通り、「どうも、V6で〜す」と挨拶し、井ノ原くんが話し始める。最初は関係ない話だったが、次第に核心の話題へ。解散する旨に触れられ、井ノ原くん、岡田くん、そして、他のメンバーも話し始める。こうやって解散に至った経緯や想いを直接メンバーの口から聞いてはじめて、少しだけ、本当に少しだけ腹落ちしたのか、気づけば涙が流れていた。

ジャニーズで定期的に活動するグループとして、初めて25周年を走りきったV6。他のグループの活動休止、メンバー脱退が報道されるなか、V6は安泰だと言われてきた。事実、何度解散報道が出たか分からないが、その度に報道を打ち消すかのように新しい情報が解禁されてきた。不仲説が出たこともあったが、「丁度いい距離保ちながら ユラユラと流れてきた」グループだ。メンバー自身「だから続いてきたんじゃないですかね」と25周年を祝う雑誌で数多く答えていた。だから、頭の片隅に解散の文字がありながらも、活動頻度も多くないし、30周年もこのままいくのかなと希望を抱きもしていた。

それが、この結果になってしまった。ファンとしては、2021年11月2日以降、V6が6人でパフォーマンスをする姿が観れなくなるのは、純粋に寂しい。

でも、6人の次のステージを応援したい気持ちもある。FC動画で坂本くんが言っていたけど、V6があったからこそ次のステージを考えられたのはきっと全員一緒。それを選択できる時代になったということなのかなと思っている。

と、物わかりのいいファンでいようとしているけど、本音としてはやっぱり解散してほしくない。せめて、剛くんも事務所に残って活動休止にしてほしい。ねぇ、全然感情を処理できないんだけど。この感情いつになったらおさまるの。

 

※この記事は、2021年3月13日に公開したnoteからの転載です。

2020年に痛感した、推しの有り難さ

世界が未曾有の事態となった2020年。不安の渦に飲み込まれそうになる中で、推しの存在がここまで私の心を支えてくれるとは思わなかった。

 

 

2019年秋、「愛なんだ2019」を観てからV6にハマった。2020年にはJwebに入り、ファンクラブに入った。そんなとき、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、世界の経済活動は大打撃を受けた。そして、4月から日本でも緊急事態宣言が出され、不要不急の外出自粛が叫ばれた。

 

私は医療関係者でもなければ、観光・飲食・エンタメなど直接打撃を受けた業界でもない。でも、フリーランスで動いているので、今後生きていけるか不安になって仕事に手がつかなくなった。

 

きっと日本中が、いや世界中が不安の渦に巻き込まれていたと思う。そんなときにV6は「いまできることを」と行動してくれた。井ノ原くんのブログ「イノなき」が10年ぶりに復活し、毎日更新、合わせて三宅健くんのブログ「にこにこ健」も毎日更新。ふたりとも自身の仕事もほとんど止まって不安なはずなのに、「どんなことをしてくれたら、ファンは喜ぶか」を考えて、ふたりのビデオ電話を公開してくれたりもした。

 

ふたりだけではない。坂本くん、長野くんも週一のブログで寄り添ってくれたし、どちらも舞台の中止が決まったときにはブログでメッセージを発信してくれた。(森田剛さんの舞台も千秋楽までできずに中止となったんだった...許すまじcovid-19)

 

そんななか、4月中旬に井ノ原くん主演のドラマ「特捜9」で新曲「It's my life」が流れた後、突然YouTubeでMVが公開された。(あれ?告知あったっけ?)しかも、毎日4本ずつ過去作品のMVやライブ映像、特典映像を公開していくという。

 

耳を疑う、ならぬ、目を疑った。

 

ジャニーズは基本的にインターネットへの露出をしてこなかった事務所。若手なら分かるけど、V6がYouTubeで長いPVを出すことなどないと思っていた。でも、蓋をあけてみたら、計66本の映像作品を公開。しかも、ライブ丸々一本も流してくれた。私は新規なので、正直全MVを観たことがなかった。

 

だからこそ、毎日16時の更新がどれだけ楽しみだった。しかも、12時にはイノなきが、22時か23時にはにこ健が更新される。12時、16時、22or23時に推しから活動報告がくるようなもの。不安しかない生活のなかで、生きる希望だった。

 

何度も心は折れかけたけど、V6がいたからもう一度頑張ろうと立ち上がる勇気を持てた。covid-19のせいで、舞台も、映画も、きっと計画していたであろう25周年のツアーも中止や延期になった。でも、同じくらいの大きな愛を感じられた一年だった。他にもハピライやトニフィフコン、愛なんだなど重要なイベントはたくさんあったけど、一番推しの有り難さを痛感したのは、緊急事態宣言下の4人のブログ更新とYouTube公開だった。数々の苦難があったと思うけど、英断してくれたavexと事務所のお偉い方に本当に感謝したい。

 

推しがいるから、頑張れる。これを体現した一年だった。

「Happy LIVE with YOU Day1」から、V6のLIVEと未発表曲『Full circle』について

「え、、、、この曲なに、、、?」

 

2020年6月16日、ジャニーズ事務所主催で開催された「Happy LIVE with YOU Day1」。

V6は初日のトップバッターとして登場しました。

 

暗闇の中に光るV6の文字。そして、さまざまな背景と絡み合って、映し出されるメンバーの顔写真。

 

「ああ、V6のライブだ....」とド新規すぎてまだ現場に行ったことがない私も、初めての現場(配信だけど)に立ち会う嬉しさと緊張で、「早くライブが観たい、けど終わってほしくない」という複雑な感情になってしまいました(重い....笑)。

 

最初の曲は予想通り、ドラマ「特捜9」最新シリーズの主題歌『It's my life』。リップシンクのMVは公開されていますが、6人全員で歌って踊る姿を観るのは初めてだったので、「こんな踊りなのか!」と新鮮な気持ちで視聴。

途中、手話「愛してる」のサインを6人がやりながら歌うのは、嬉しくもなんかこっぱずかしくなってきてしまう(なぜわたしがw)

 

その後は、有名曲が並びます。しっかり踊って魅せる曲もあれば、全員で歌って視聴者を応援する曲もある。きっとV6ファン以外もたくさん観ることを想定した上で、有名曲&幅も持たせてきたんだろうなと。

 

と思いながら『HONEY BEAT』を聴き終えると、照明が暗くなり、「おお!次は何だろう?最近の曲かな?」と思っていると、

歌い出し「Full circle〜〜」。

 

「!!!!!???????」

 

え、???聴いたことないよ???

 

画面の右上には『Full circle』。え、まさかの初披露の新曲???とTwitterは大騒ぎ。最新曲の『It's my life』ともテイストの違う少しHIPHOPにも近い曲にど肝を抜かされました。

 

しかも、歌詞が25周年を迎えるV6メンバーの気持ちを表しているようで、ファンは勝手に憶測を立てて号泣の嵐。完全にV6とスタッフさんの選曲にやられていったのでした。

 

出だしから「気がつけば遠くまで来たもんだ」と、あくまで長年続けることを目標にしてきた訳ではなく、目の前の一つひとつを精一杯やってきたら、25年経っていたともとれる歌詞がV6らしくて良いなぁと。

 

その後、坂本・岡田で「遅かれ早かれ歩み続けてきたMy Way」。年長&年少の二人にこの言葉を言わせるのもずるい。そして細かいのだけど、AメロBメロを坂本くんが高音をとって、他のメンバーで代わる代わる歌っていくのも、リーダーが常に下支えをしてきてくれた感を演出していてずるい。

 

そして、問題のサビ。追求すべきポイントはたくさんあるのですが、ひとつ挙げるとしたら「後悔はない」の一言。20周年の『〜此処から〜』では岡田くんが「愛しい後悔」と歌っているのに、5年経った今は、「後悔はない」。(オタクは号泣です)愛しい後悔すら乗り越えて、もう後悔ではなくなったんですね。うう、泣ける。

 

「一人一人が描くストーリーライン」とグループではなく個人の活動でストーリーを描いていった6人。「進み続け たどり着いた今」と、進み続けた結果、6人全員がそれぞれの分野で評価される人物となった今。

 

でも、「この場所に戻ってきたら また探し出せそうで」。個人での活動に力を注いだ6人が、最初のスタート地点であるホーム・V6に戻ってきたら、また探し出せそうと歌う。そして、続く言葉は、「I'm ganna be alright 」=「僕はもう大丈夫だ」。

 

え、泣く。。。

 

(勝手な解釈です)個人活動である程度、地位を確立した6人。でも、この先に不安を感じることもきっとあるはず。不安に押しつぶされそうな毎日を過ごすこともあるはず。でも、V6に戻ってきたらもう一度次の目標を探し出せる気がする。V6というホームがある限り、僕は大丈夫だ。と歌っているようで、勝手に解釈をして泣ける。

 

そう、剛くんが「状況は俺が作るもんだろ?」と歌うように、

井ノ原くんが「そう、やるしかねぇなぁ!」というように。

 

自分で動いていくしか正解はないのだ。そして最後は「I'm ganna be alright 」=「僕はもう大丈夫だ」。「I'm on my way」=「僕は僕の道を行く」と締める。

 

6人で現在の立ち位置を確認して、「よし、大丈夫だ。歩いていこう」といっているようで、つい今までの歴史を振り返ってしまう。

 

新曲で「It's my life」と25年歩んだ道が僕の人生だと歌い、『Full circle』で現在地を確認し、また歩み始める。

 

25年必死に頑張ってきた過去は過去のものとし、また新たな道を歩み始める曲を歌うのが、”今”を重視し、最新を更新してきたV6らしい。

 

と、衝撃の最新も最新の曲をぶち込んできたV6。衝撃がまだ冷めやらないでいると、「どうも、V6で〜す」とゆるめのMCがはじまる。

 

細かいところは書きませんが、V6のライブでしか見せないゆるく楽しそうな雰囲気がしっかりと現れていて、嬉しくなってしまいました。

 

途中、坂本くんの肩越しに映し出された映像は、しばらく忘れられないと思う。みんなが坂本くんを見る目が全員優しくて、温かくて。いつもは率先していじる剛くんが「謝るとこじゃないよ」とフォローして、他のメンバーも続く。長年たたかった仲間だからこそ、こんなに自然で温かい空気が出せるのだろうなと。

 

そして、また有名曲が続き、最後は『ありがとうのうた』。2004年にファンへの感謝の気持ちを届けるために作られた曲を、25周年の他のGのファンも見ているこのステージで、歌ってくれるのかと。ファンを第一に思ってくれるからこその選曲だなと。

 

もう私の口から言えることはない。最後の歌詞を載せて、このブログを締めたいと思います。一筆書きの駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ありがとうの言葉たちが
こんなに優しくさせるよ
笑ってシワをふやして
日々を重ねてゆこう


『ヒメアノ~ル』を観て感じた・森田剛の本質を捉える力

 

森田剛の演技は凄い」

お茶の間にはあまり浸透していませんが、過去に森田剛と関わった舞台関係の多くは、口を揃えてこう言います。

 

正直な話、私もV6のファンになるまでは「森田剛は舞台をしている人」くらいの認識で演技は一度も観たことなく、調べようとすらしていませんでした。

 

でも、改めて調べると、「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄氏が「1言えば100返ってくる」と絶賛するほどの人物。2010年に蜷川氏の舞台『血は立ったまま眠っている』に出演すると、2011年に宮本亜門氏の『金閣寺』の舞台にも抜擢。これを観に来た蜷川氏は「次は俺だよ」と直接オファーを出したといいます。 

 

世界的な演出家にそこまで言わせる森田剛の役者としての姿を観たい。そう思ったものの、知識がない人間にとって舞台は少しハードルが高い。となると、映画『ヒメアノ~ル』だが、如何せんサスペンスが苦手でずっと手が出せず.....。

 

でも、自粛期間も終えそうな5月最後に、「今しかない!」と意を決して観ることにしました。そしたら、案の定森田剛が演じる異常者の普通すぎる姿に引き込まれ、気付けば99分間ずっと緊迫状態で過ごすはめになりました。(心臓には絶対悪い)

 

※ネタバレを含みます。ちなみに役名は森田、中の人は森田剛表記で書いていきます

 

異常者のリアルな“普通”を演じる

 

『ヒメアノ~ル』は過激な内容で話題となった古谷実氏のコミックを実写映画化。公開時もジャニーズ主演作品にしては珍しくR-15指定となりました。

 

<あらすじ>
普通の生活に焦燥感を抱くビル清掃会社のパートタイマー岡田(濱田岳)は、同僚からカフェの店員ユカ(佐津川愛美)との恋の橋渡し役を頼まれる。彼女が働くカフェへと足を運んだ岡田は、高校時代の同級生・森田(森田剛)と再会。ユカから森田につけ狙われ、ストーキングに悩まされていると相談された岡田は、森田がかつていじめられていたことを思い出し、不安になるが……。(Yahoo!映画から引用 )

 

そんな狂人を演じたのは、アイドルグループV6の森田剛。前述したように舞台以外での露出は少なく、一般に役者としてのイメージが確立していない中での登用でした。

しかし、蓋を開けてみると「森田の演技がヤバイ」「本当に怖い」と映画ファンから業界関係者まで賞賛の嵐。森田剛の演技力を広く認知させる作品となったのです。

 

そんな映画を恐る恐る観た私でしたが、観終わった感想はたったひとこと。

「怖すぎる...」

恐怖以外の感情を失うほど、森田剛が演じる森田の狂人っぷりに気づけば目が離せなくなっていたのです。

 

何が森田を狂人にみせていたのか。

 

その最たる理由は、人を殺めること・人を傷つけることに無頓着である森田の姿です。予告のYouTubeでも流れているように銃で人を撃った後もあくまで普通に「いってぇ」と自らの手と耳を庇います。さらに、別の場面では人を殺した後に普通にカレーを食べている様子も描かれています。

 

その日常の中に殺人がある様子が異常であるにも関わらず、森田にとっては普通の日常に見えて、キャラクターの異常さを際立たせていました。

 

映画を観終わった後、当時のインタビューを読んでいると、森田剛自身がその表現について語っていました。

 

人を殺めているところを第三者に見られたときって険しい表情をしたくなると思うんですけど、なるべく関係ない表情をするようにしました。普通にお店に入っていって、「今日、やってますか?」みたいな感じで人を殺すというか、そういう気持ち悪さが出ればいいなと思ったし、普通の人だったら、「あっ、これ以上やったら危ないな」っていうところも、森田はわからないというか。ストップがきかない危なさを、監督も計算されていたと思います。

『ヒメアノ~ル』森田剛インタビュー

 

おそらく原作で森田はこうした人物として描かれているのでしょうが、森田剛がその異常さを普通に落とし込んで演技できること自体に彼の凄さが隠されているように思いました。

 

森田剛の演技力を語る上で印象的なシーンがあります。それは高校時代、森田が岡田に学校に連れてこられたときの教室での一コマ。岡田に向けられた目は蔑むような、憎しみを超えたおぞましいものを見るような。今思い出してもゾッとするものでした。

 

このとき直感で「この演技をできるのは森田剛しかいない」。そう思いました。

 

対して、温かい笑顔で演技力を見せた最後のシーン。猟奇的な殺人者の森田が、高校時代に戻ったかのような優しい表情とセリフに戻ります。

 

特に印象深かったのが、警察に捕まった際のラストシーンです。

 

「岡田くん、また遊びに来てね」

 

このセリフと共に岡田に向けられた笑顔は、穏やかで優しい少年の顔でした。90分以上も、森田の恐怖に胸を締め付けられていただけに、この笑顔が彼に隠された本来の姿に見え、「救い」のように感じました。

 

これほど振り幅のある演技力を一つの映画の中で見せてくれた森田剛。『ヒメアノ~ル』を観て、この人がなぜこれほどまで演技力に評価が集まるのかを少しだけ考えてみました。

 

「本質を捉える力」を持つ、森田剛という人物

 

『ヒメアノ~ル』を観た後にインタビューを読んで、さらにV6で森田剛のエピソードを聞くと、彼は「本質を捉える力」が強いように思いました。

 

森田剛は決して口数が多いわけではありません。V6や役者仲間と一緒にいるときは楽しそうに笑顔で接する姿はよく観ます。しかし、何かを決めなければいけないとき、重要な演出を考えるときは、みんなの会話の輪には入らず、そっとひとり考え事をしている姿も多く目にします。

 

そして、森田剛が口を開いた瞬間、皆がその発言に注意して聞く。V6メンバーも「剛がそうだというなら、間違いない」というほど、森田剛の判断には絶対的な信頼を置ける何かがあるのです。他のメンバーや役者が「確かに」と口を揃えていいそうな、誰も気づかないけど、大事なことを口にすることが多い。

 

それは先のインタビュー記事を読んでも同じです。監督が言わんとすること、監督が求めるこの内容は何のために言っているのか、その本質を捉える力が強いからこそ、人は森田剛の発言に注目するし、信頼を置くのではないかと思ったのです。

 

森田剛に発言の理由を聞くと、「ん、なんとなく」「なんかモヤモヤするんだよね」ということも多い気がします。森田剛自身が明確に言語化できるわけではなく、感覚で選べてしまう人間だからこそ、こう発言するのかもしれません。

 

ただ、その「なんとなく」の感性が異様に高い。この感性が森田剛が天才と呼ばれる所以なような気がしました。

 

プロのアイドル・三宅健くん

V6の中で誰よりもアイドルとして立ち振る舞ってきた三宅健くん。25年経ってもその姿勢を貫いている姿はまさにプロのアイドル。

 

メンバーそれぞれ気になる部分はあれど、「この人は普段何を考えているんだろう?」と一番気になってしまうのが、健くんだ。「こんなにファンのことを考えて行動できる?」「忙しいのにそこまでできる?」と数々のエピソードを読んで何度も考えてきた。

 

その部分に迫るため、今回は三宅健のアイドル性について考えてみたいと思います。

 

プロのアイドル・三宅健

アイドルとしてのプロ意識を感じさせたエピソードといえば、当時反抗期だった岡田くんに言った「アイドルとしての誇りを持ってくれ」という言葉。

3次元の世界にこんな言葉を言える人がいるのか...。私たちは漫画か何かを読んでいるのか?とまで思ってしまう。

 

でも、普段から「アイドルとして自分に何ができるのか」を考えている からこそ出て来る言葉なのだろうとも思う。ジャニーズというたくさんのアイドルがいる中で、アイドルという職業にここまで向き合っているのは何人いるのだろうか。V6・三宅健の底が計り知れない。

もう少し分野ごとに分けてアイドルとしての健くんを考えていきたい。

 

魅せるダンスを追求

健くんは、ダンスの追求も物凄い熱量だと思う。ジャニーズに入所した当初、健くんはジャニーさんから「Youはビジュアルでいくから」とダンスレッスンを免除されていたらしい。

 

それでも人気が出て来ると当時絶対的な人気を博した森田剛と並んで踊らされることも多くなった。そうすると、長年続けてきたジュニアからは「ダンスもできないくせに」とやっかみも当然出てきた。そこで一層ダンスの練習に力を入れ、当時天才的といわれた剛くんのダンスと並んでも遜色がないレベルにまで持っていった。

 

そして現在、V6デビューから25年。比較的肌感覚で多少は出来てしまう剛くんと四半世紀以上も並んでダンスを披露してきた。きっと人知れず努力を重ねてきたのだろう。 

 

そんな健くんだが、今はプロのアイドルとしての意識もあり、魅せるダンスを意識しているように感じる。コンサートのDVDを観ていると、三宅さんのピタッと止める鋭さはやはり凄い。「バミリ(立ち位置)をよく間違う」と岡田くんからツッコミが入っていたけれど、ダンスの細部まで、それこそ指の動きひとつ一つにまで意識を向けているように感じる。

 

こうした意識もきっと“アイドルのプロとしての自分”を誰よりも自覚しているから。アイドルは多くのファンによって成り立っている特殊な業界で、ファンの人がいなければ、25年も第一線で活躍することはできない。

 

常にファンの期待を超えるパフォーマンスが要求され、厳しい世間の目とも戦う必要もある。一般人には想像することもできない世界。

 

でも、確かに特殊な業界かもしれないが、世間一般の仕事だってきっと同じ。プロとは何か、プロとして何を与えられるかは常に自問しなければいけないのだろうと健くんの活動を追っていると改めて感えさせられる機会が多い。

 

ファンの心理を理解してくれるアイドル

V6の中でもっともファンに近い目線で物事を語ってくれるのも、健くんだろう。ファン心理を理解し、岡田くんや剛くんが結婚したときには優しいコメントを発表し、ブログではファンを想っての内容を綴る。かと思えば、先日の剛くんの舞台では東京の千秋楽を観に行ったにも関わらず、(日帰り?で)大阪まで飛ぶ。相撲や他の趣味もそうだと思うけど、自分が何かのファンだからこそ、ファン心理を理解できるのだろうなと思う。

 

それともう一つ。なぜこの人はここまで気持ちを察することができるのだろうと疑問だったのだが、メンバーとの馴れ合いをみていたら、なんとなくその一旦が見えた気がする。

 

健くんは、常に周りの人がどう動くか、何を発するかをときに冷静にみている。そのときに自分が何をすれば笑いがとれるのか、どういう言葉をかければみんなが求めている状況にできるのか。人よりも期待に応えようとする気持ちが強いように感じた。だからこそ、ファンの期待に応えたい!と考える力が人一倍多いのかもしれない。

 

V6を誰よりも愛している

誰よりもV6への愛が伝わってくる健くん。20周年のときに井ノ原くんが作曲を担当した「~此処から~」では、V6への愛を複数枚の紙にしたためて渡したという。

 

それだけの想いを持ってV6として活動を続ける健くん。でもV6は25年間安定して続けてこれたわけではなかった。岡田くんの夜会での言葉を借りれば、「俺のことだけじゃなく、本当に色々なことがあったから」。

 

その気持ちを健くんが口にしたことを知って、思わず泣きそうになってしまった。10周年のときに健くんはポラロイドでメンバーの姿を写真に収めた。そのときの気持ちを10周年のときはこう語っている。

「みんなのおかげで10周年を迎えられることを本当に大切に思っているし、変な言い方だけど10周年を利用するくらいの勢いで、感謝の気持ちをカタチに表したいな、と。なんでって…好きだからとしか言いようがない。とにかく、この”6人”というのが好き。」

でも、20周年のパンフレットでは、当時を振り返り、こう語った健くん。

「あの頃、実は自分なりにグループに対する危機感を感じていたんです。それで、10周年を迎えるまでのメンバーとの日々をどうしても写真に残しておきたくて…。

 

「長くやっていくと、6人以外の個人活動もどんどん増えてきて。その両立や、気持ちの切り替えなど、個々の活動もちゃんと尊重してあげたいという気持ちもメンバーみんなが持っていた。僕自身は、V6という母体があったからこそ、今の自分があると、ずっと思っていたんです。なくてはならないし、自分自身でもあると思ってきた。だから、当時はつらかったですね。」

誰よりもV6を好きな気持ちが、メンバーの他の活動の妨げになってしまうかもしれない。自分はV6が好きだけど、もしかしたら続かないかもしれない。

 

そう考えてしまった健くんの気持ちを考えると、本当に切ない。そんな健くんが岡田くんのことを誰よりも気をかけていたのは、V6を守りたい気持ちが現れていたのかもしれない。

 

そう考えると、今もV6が6人で活動を続けてくれているのは、健くんのおかげのような気もしてくる。だからこそ、V6の仕事で楽しそうにしている健くんをみると嬉しくなる。25年続いてこれたのは、メンバーそれぞれの想いもそうだし、そこに三宅健さんがいたから。

 

自由奔放で、ときにメンバーを困らせてしまう健くん。その自由に振る舞っている健くんを見ているだけで、「25年続けてきてくれて、本当に良かった」と思わず泣きそうになってしまう。

 

メンバーそれぞれに言えることだけど、本当に三宅健くんがV6にいて良かった。でも、ファンへの対応を見ていると時々心配になる。「そんなに気を遣わずとも良いからね?疲れたと思ったら少し休んで、またいつもの笑顔を見せてね?」と。

 

それでもきっと私たちはあなたの笑顔に救われるから。
いつまでもアイドル・三宅健を貫いてほしい。

出来ることはすべてやる。努力家・岡田准一氏

2019年の秋頃から突如ハマったジャニーズのグループがある。

それは今年、25周年を迎えるV6。

 

きっかけは、たまたまYoutubeで観た最新曲「All for you」だった。「え、ジャニーズでこんなテイストの曲を歌うグループがあるの!?」と驚き、他の楽曲を検索するうちにハマっていった。

 

でも、より深くハマるきっかけとなったのは、2019年秋に放送された「愛なんだ2019」。アクション俳優として名を馳せる岡田くんが、高校の部活動アトラクション部の演技を指導する岡田塾を見て、そのプロ意識に感嘆した。

 

アクションで大切なことは、

①ボディーコントロール

②相手との距離感

③カメラ映りの3つのポジショニング

と熱弁し、自らが講師となって、身体を使いかたを教えていく。

 

さらに宿題として課題を与えた2週間後、生徒が練習の成果を岡田くんの前で見せた。素人からするとかなり成長したように見えたが、「距離感とパンチの打ち方から直していかなきゃいけないところはたくさんある」と岡田くんは厳しい評価を出した。

 

しかし、その真意は、高校生を大人として扱い、アクションに対する姿勢を伝えるためだった。

 

「アクションをやるということは、攻撃一つ一つを暴力で終わらすのではなく、芸術まで高めないと人はスゲエとは思ってくれない。その一手一手にどこまで責任を持てるか」と語る岡田くん。

 

これを初めて観たときに私は、この人はここまで考えて芝居をしているのかと衝撃を受けた。アクションは言ってしまえば、暴力だ。それを芸術として人に伝えるには、生半可な気持ちではできないのだ。

 

この番組を観て以降、「この人はどうしてここまで突き詰めて考えられるようになったのだろう?何がこんなに駆り立てるのだろう?」と気になって、検索を重ねる日々。次第に見えてきた岡田准一像は、人一倍努力を続ける真面目な人物だった。

 

アイドルから俳優の道へ。人知れず努力を重ねてきた

ジュニアとしての下積み期間もままならないまま、V6として1995年にデビュー。長年ジュニアとして活躍して来たトニセン、ジュニアの中でも絶大な人気を誇った剛健コンビとデビューしたこともあり、常に劣等感に苛まれてきたという。

 

そんな中、18歳のときに出演したドラマ『ディア・フレンド』が大きな転機となった。共演した緒形拳が、台本にはなかった平手打ちをしてきたことで心を動かされたのだそう。撮影が終わると「楽しかっただろう、感情は動いたか?」と言われ、今まで以上に芝居に打ち込むようになった。当時を振り返り、岡田くんは怒る演技はしていても、感情が動いていなかったと感じたと言っている。

 

しかしその当時は、V6はレギュラー番組を抱え、忙しい日々。それでも1日2本は映画を観て、自分でカット割を書き出すなど、人知れず努力を続けて来た。他にも1日1冊本を読むこともノルマとして自分に課していたともいう。

 

そして時は経て、2015年。第38回日本アカデミー賞で、映画『永遠の0』で最優秀賞主演男優賞、映画『蜩ノ記』で最優秀助演男優賞と史上初のダブル受賞。ジャニーズで日本アカデミー賞を受賞した最初の人物となった。

 

20歳になったら、ジャニーズを辞めて社会科の先生になりたかった岡田くん。まだ社会について分からない中学生のうちから、キャリアを築き始めてしまい、「果たして本当にこの道で良いのか」と苦悩もあったはず。それでも、緒方さんのおかげで芝居にのめり込み、新たな道を見つけたのだ。

 

いち俳優から、アクション俳優の道へ

そして、もうひとつアクションも俳優・岡田准一を語る上で忘れてはならない項目。2007年から始まった『SP 警視庁警備部警護課第四係 』を契機にアクションを極める道へと進む。2010年にはカリ、ジークンドーのインストラクターとして認定され、その後、USA修斗のインストラクターの資格も取得した。

 

アクション俳優で師範級の資格まで取ってしまう人はいるのだろうか。初めて聞いたときは耳を疑った。人を演じる俳優を突き詰めて考えるうちに、アクションまで追求して、行動する。これは岡田准一にしかできないのではないかと思ってしまう。

 

あまり努力を表立って言う人ではないので、詳しいことは分からないが、人に教えることができるまでできてしまうのは、並大抵のことではない。しかも、自身の活動やV6としての活動も日々続ける中での取得。たまに番組で披露する筋肉の知識もすごいので、きっと知識面でもかなり勉強したのだろう。一つのことを追求して、実際に他人に認められるまで成長するのは、本当に心の底から尊敬する。

 

一方、自分を振り返ったときに、岡田くんのようにできることはすべてやる覚悟で仕事をしているのかと考えてしまった。休日にいざ勉強しようと思っても、インターネットが繋がっていれば、Youtubeを観てしまう自分がいる。

 

忙しい合間をぬって映画のカット割りをして、本も読んで勉強していた岡田くんと比べて、自分の至らなさに辟易する。でも、推しも若い頃は日々に奮闘して勉強して、今の地位を築いたのだ。そう考えると自分ももっと頑張れるんじゃないか。推しができて、そう考えられるようになった。

 

今日も推しの努力する姿を想像し、私は仕事へ向かう。